菊理媛巡り vol.5 八劔神社ヘ

こんにちわ。心彩サロンの店主、角田です。

前回に引き続き「菊理媛巡り」。

自分の住んでいるところから半径2キロ圏内の神社に、何か秘密がある。。。

そう考えるのは「陰陽」の考え。菊理媛とは、「陰陽」の統合を表す神でもあるのです。

今回は、大阪の鴫野にある「八劔神社」について書いてみます。

撮影した時が、ちょうど「芽の輪くぐり」をしている時期でした。

夏越の祓(なごしのはらえ)と言われていて、正月から半年間のケガレを祓い、残り半年の無病息災を祈願するという意味があります。

やり方はこんな感じです。

1.先ず、茅の輪の前に立って軽く礼をします。左足からまたいで輪をくぐり、左回りに回って元の位置に戻ります。

2.茅の輪の前で軽く礼をします。右回りに回って元の位置に戻ります。

3.茅の輪の前で軽く礼をします。左回りに回って元の位置に戻ります。

4.茅の輪の前で軽く礼をします。輪をくぐり、ご神前まで進みます。二拝二拍手一拝の作法でお詣りします。

同時に「形代」といって、人型に切り取られた白い紙に名前と年齢を書いて穢れを祓い清めるための大祓(おおはらえ)の神事が行われていました。これをすると、「八劔神社」様から「御下がり」を頂けます。

城東区の「八劔神社」のご祭神

・中御座  八劔大明神(やつるぎだいみょうじん)

・北御座  武速須佐雄大神(たけはやすさのおのおおかみ)
(相殿)竒稲田姫大神、八頭大神
・南御座  罔象女大神(みづはのめのおおかみ)
(相殿)天照皇大御神、春日大神

「八劔大明神」は、須佐之男命(すさのおのみこと)と同体です。

須佐之男命は、伊奘諾尊(いざなぎ)、伊邪那美命(いざなみ)から生まれ、天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟とされています。

多くの神話が残されている「須佐之男命」

須佐之男命の威力は莫大で、泣くだけで嵐が起こり、山が枯れ、河や海が干しあがってしまい、悪霊が大量に湧いてきて多くの災いが起こりました。

見かねた伊奘諾尊がなぜ泣いているか聞くと、「亡き母に会いに根之堅洲国(黄泉の国)に行きたい」と言いました。そして怒った伊奘諾尊に地上を追放されてしまいます。

伊奘諾尊に地上を追放された須佐之男命は、姉である天照大神がいる天上界・高天原に向かいます。ところが凄まじい力を持った須佐之男命が移動することで高天原は震え上がりました。「自分の国を奪いに来た」と思い込んだ天照大神は、「追放されて住む場所がなく、姉(天照大神)に会いにきただけだ」という弟を信用できません。

須佐之男命は、自分の言葉に邪心がないことを証明するために、誓約(うけい)をしようと持ち掛けました。

天照が身につけていた勾玉の髪飾り、須佐之男命が身につけていた十拳剣を
それぞれ天の安河と呼ばれる川で割る。

※誓約とは

須佐之男命の剣からは後の宗像三女神として知られる3柱の女神天照大神の髪飾りからは天皇家につながる神を含んだ5柱の男の神が生まれます。

「 女神が生まれたのは自分に邪心がない証拠」と言い放ち、天照大神は弟の須佐之男命の滞在を許しました。

 またも追放される須佐之男命

高天原に住むことを許された須佐之男命は、その後、大切な田んぼを破壊・神殿に糞尿をばらまくという狼藉を働き、ついに皮をはいだ馬を機織りをしている巫女たちがいる神殿に投げ入れ、巫女を死なせてしまいます。

怒った天照大神は天岩戸に引きこもります。これが「天岩戸事件」として神話で語り継がれている事件です。

須佐之男命は、この事件の責任を負うため、髪の毛を剃り、手足の爪を剥がされて高天原を追い出されました。

ヤマタノオロチ
民家に立ち寄った須佐之男命は、泣いている若い女性と老夫婦に出会います。泣いている理由を聞くと、娘のクシナダヒメが「ヤマタノオロチ」の生贄に出ていくから泣いていると言います。

須佐之男命は、ヤマタノオロチを退治したら、シクナダヒメを嫁にほしいと考え、嫁がせてもらえるなら助けるという約束をします。

ヤマタノオロチが現れると、お酒を大量に飲ませ、眠ったところで十拳剣でヤワタノオロチを滅多切りにします。尾っぽのところを切っていた時、切れないとこりがあり、引き抜いてみると十拳剣が刃こぼれをおこしていました。みるとそこから都牟刈の大刀が出てきます。

それでこの太刀を取り、不思議なものと思い、天照大神に報告して奉りました。これが草那芸の大刀(クサナギノタチ=草薙剣)です。 三種の神器として有名なあの草薙剣です。

この草薙剣は、名古屋の「熱田神宮」御鎮座していることで有名です。

熱田大社との縁起

八剣神社のホームページにはこんな記載があります。

応永の始め、鴫野村の住民某がある夜夢を見た。その夢枕に一人の老翁が現れ、「吾はこれ熱田の神なり。跡をこの地に垂れんと欲す。明日汝等出でて吾を淀川の河辺に迎うべし」 と告げたので、翌日村人十数人を呼んでことの次第を語ったところ、自分も同じ夢を見たと云う者が、十人余に及んだ。
そこで一同は各々衣服を改めて河辺に出迎えると、果たして一ぴきの小蛇が河中に現れ、まっすぐこちらに向って来て、 やがて岸に上がった。その様の悠々泰然たるを見て、村人は畏敬に打たれ、一同相従って行くと、小蛇は川を越え堤を経て鴫野村に入った。

古絵図に描かれた八劔神社

そして、小蛇が留まった所を見て、村人たちはそこに小さな祠を建ててこれを祀った。時に応永3年(1396年)9月22日のことである。(なお、別伝で蛇ではなく、白鳥の伝えもある)

以来、室町、戦国、江戸、明治を経て、大正4年天王田村の氏神八坂神社と永田村の氏神水神社を合わせ祀って、今日に至る。

というけで、次の旅は名古屋。。。

読んでくれてありがとう!