菊理媛巡り vol.4 石川県「瀬織津姫神社」ヘ

こんにちわ。心彩サロンの麻祈(maki)です。

今回も石川県の神社巡りについて書いていきます。下調べの段階でどうしても気になった「瀬織津姫神社」(せおりつひめじんじゃ)この神様は、大祓詞に登場する神様で、瀬織津比咩瀬織津比売瀬織津媛とも表記されています。

なぜ気になったかというと、「菊理媛」を調べていると「瀬織津姫」同一神ではなかという記事を見つけたからです。

「瀬織津姫神社」ってこんなところ
石川県金沢市の山間部にひっそりと位置しています。
周辺には竹林が広がり、筍の名産地としても知られるそうです。
宮司さんは在籍しておらず、町の人達が協力し合って手入れをしているそうです。
たまたま乗り合わせたタクシーの運転手は、以前その場所で筍に関わる仕事をしていた人だったのでスムーズ行くことができました。
歴史に関することも詳しく、その土地の様々なことを教えていただきました。
「詳しいですね」というと、「一応、神に携わっているので」という答えが返ってきました。
御見それしました~と言う感じでした。。。

主祭神 禍津日神(まがつひのかみ)


禍(マガ)は災厄、ツは「の」、ヒは神霊の意味であるので、マガツヒは災厄の神という意味になるという。神産みで黄泉の国から帰ったイザナギが禊を行って黄泉の穢れを祓った時に生まれた神様。災厄を司る神とされています。
「倭姫世紀」では、禍津日神瀬織津姫同神と記されているそうです。
瀬織津姫」=「禍津日神
それではなぜ「瀬織津姫神社」の主祭神を瀬織津姫ではなく禍津日神とわざわざ変えたのでしょう?
そのヒントが「廣田大社」にありそうです。
封印された神
兵庫県西宮市に「廣田大社」があります。ご祭神は「天照大神荒御魂」。
神様にはおだやかな和御魂(にぎみたま)と、激しい荒御魂(あらみたま)の2つの側面があり、その激しい荒御魂の面をお祀りしています。
伊勢神宮「内宮」である「荒祭宮」のご祭神と同神です。
「廣田大社」の戦前までの由緒書に瀬織津姫」を主祭神とすることが明確に記されています。そして「廣田大社」奥宮「六甲山神社」といいますが、そこにご神体である神石をお祀りしています。
「六甲山神社」ではご祭神「菊理姫」 (くくりひめ)をお祀りしているのです。
瀬織津姫」=「菊理姫
ここでやっと「菊理姫」との接点が見えてきました。
それにしても、なぜこんなにも「瀬織津姫」を隠そうとしているのでしょうか。
様々な顔を持つ「瀬織津姫」
「祓戸四神」という神があります。この神様は、黄泉の国から帰還した伊邪那岐命が禊をした時に化成した神とされています。
瀬織津姫・・・川の神(水神)
●速開都姫・・・海神
●瀬織津姫・・・風神 
●速佐須良姫・・地底(霊界)の神
○中臣祓詞より
”高山の末(すゑ)、短山(ひきやま)の末より、佐久那太理(さくなだり)に落瀧(おちたぎ)つ速川(はやかは)の瀬に坐す瀬織津比咩といふ神、大海原に持出(もちいたし)なん。”
佐久那太理(さくなだり)とは、さく(割く)なだり(雪崩)。岩を割き、滝のように流れ降る と解されており、そのような急流の速川の瀬に宿る瀬織津姫が、祓い清められた罪を大海原へと持ち出すとあることから、瀬織津姫は川の神(水神)とされました。
○中臣祓注抄より
「大祓詞」の最古の注釈書で空海が著したとされる「中臣祓注抄」では「速川の瀬」「三途の川」と説明しています。
○神宮方書より
「瀬織津姫は三途川の衣婆なり」と記されています。
○日本書紀より
イチキシマヒメ(市杵島姫命)という神様が誕生していて水を司る神として弁財天として神様と同一と考えられ、金運・財運を高めるご利益がある。
また、廣田神社の奥の院の一社である兵庫県六甲山山頂にある大きな磐座をご神体とする「六甲比命神社」は弁財天を祀るとされています。
このことから弁財天とも同一神ということになります。
その一説に、六甲山麓・周辺には弁財天を鎮守神とする寺院が多く、神呪寺の南の目神山の、役行者と弁財天が邂逅したという伝承あります。その為、周辺の磐座には役行者の像が鎮座しています。
なお、六甲山の石宝殿は 当地の民話にて”越木岩の村人が雨乞いのために設置した”とされており、この石祠には六甲大権現が祀らていると云われています。
大権現という権現(ごんげん)は、日本の神の神号の一つ。日本の神々仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号です。このことから「瀬織津姫」は、仏教にも関わりがあるといえます。
さらに瀬織津姫(天照大神荒御魂神)のまたの名は、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命または八十禍津日神(悪神)としています。
○大祓詞解釈より
「此(この)神(かみ)の御名(みな)の瀬織は瀬下(せおり)にて、かの大御神(伊耶那(いざな)岐(ぎ)命(みこと))の中つ瀬に於降迦並伎(おいておりかづき)たまふ。とある意の御名也(みななり)。かくて此(この)神(かみ)すなわち禍津(まがつ)日(ひの)神(かみ)也(なり)。」
この文章からは、瀬織津比売禍津(まがつ)日(ひの)神(かみ)と同一神としている事を記しています。

○倭姫命世記より

『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』『中臣祓訓解』においては、伊勢神宮内宮別宮荒祭宮の祭神の別名が瀬織津姫であると記述されました。

○ホツマツタエより

日本書紀神功皇后の段に登場する撞賢木厳之御魂天疎向津媛(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)命と同名の向津姫を瀬織津比売と同一神とし、天照大神の皇后としてある時は天照大神の名代として活躍されたとしています。

○中臣祓解より
「瀬織津比咩とは伊耶那岐命のみそしきたまう、あまたの神、出生したまえり。九神をうみ、六神をうみたまふ。其の出生の神たちの摠名(そうめい)なり。」とされています。
謎多き神「瀬織津姫」
縄文の頃から信仰されてきたという瀬織津姫。名前を変えて多くの神社仏閣に携わっています。知れば知るほど謎が深まる「瀬織津姫」。
そのヒントに、七夕の織姫と彦星の物語があります。
織姫彦星瀬織津姫アマテル
瀬織津姫とアマテルは、縄文時代には日本各地の神社で陰陽一対のペアでお祀りされていましたが、大和朝廷によって引き離されてしまい、記紀の記録からも抹消されてしまいました。

彦星は、ニニギが天孫降臨する以前に天照大神から十種の神宝を授かって船に乗り、
河内国から大和国へ入った天照大神とされています。

神話上で女神の天照大神は、本当は太陽神で男神。当時の女帝・持統天皇をモデルにするために皇祖神で太陽神を女神にする必要があったと言われています。

皇室と朝廷の覇権争いで朝廷が国を統治するために、神武天皇までの血統を正当化させる必要があったとする。つまり、古事記が編纂される以前の縄文時代からの
歴史が捏造されてしまったというわけです。


それでは、それを踏まえてこの「瀬織津姫神社」にお参りしたいと思います

鳥居を潜ってすぐに手水社はありましたが、水源がありませんでした。
一応、水の神様なんですけどね。。
写真のように結構急な階段を上って。。。。
ありました!
結構上るので眺めはいいです。
周辺は竹やぶ。
雰囲気はいいのですが、なんだか寂しい感じがします。

この菊理媛を巡る旅は、封印された「瀬織津姫」を復活させるべく行われているようです。
日本の表と裏の神道が和合して、瀬織津姫を復活させて陰陽一対の
最高神として祀り直す。縁結びをし直すという事でしょうか。
だから今、和合の神 縁結びの神菊理媛なんですね。