こんにちわ。
心彩さろんの麻祈(maki)です。
今回は、前回の”見えない世界からのお知らせ”の続きです。
祖母の生霊を見てしまった私は、そのまま見過ごす事が出来なくて大阪から地元の広島に戻ることにしました。オリンピックで人の動きが活発になる前の方がいいと思ったので、なるべく早く戻りました。
けれど残念ながら祖母の面会は叶いませんでした。やはりコロナの影響で許可が下りません。渡せるものだけ渡すということしかできませんでした。
見えない世界と現実の世界では、誤差がつきものです。
私が見た祖母の生霊は、祖母の意識が見せたもの。だから祖母自身が私の事を思い出した訳ではないと思うのです。
意識(見えない世界)と心と行動がそろって始めて現実世界はうまくいくのだけれど・・・・。なかなか難しい時があります。
霊的なものといえば、もうひとつ気になることがありました。
以前、師匠に「あんたの実家の方、昔、大きな神さんがおったんか?」って言われたことがありました。
だけどうちの実家はなんにもないど田舎です。神社は一応2つありますが、どちらも無人の八幡神社で町の人が管理をしています。だからそんな事を言われてもピンとこなくて、それは母の実家の方ではないのかなとその時は思いました。母の実家といっても持ち家ではなかったので、祖母はもうそこ(因島)にはいませんが。その因島には「大山神社」があって、愛媛の「大山祇神社」と共に、古くから崇敬されてきたようです。
師匠によると「昔は大きかった」とのことだったので、昔はもっと因島の「大山神社」は大きかったのかなと思いました。
ところが今回実家に戻った時、町内会の案内の”弁天川“という文字が目に入ってきました。なんか大層な名前だなって思ったので、父に聞いてみました。
「この弁天川ってどこのこと?」って。。。
「そこよ」と父が指差したのは、家の前に流れる小さな川でした。
びっくりして「なんでこんな名前ついとるん?」と聞くと、「奥に祠があるけーの」と言いました。は?始めて知ったんですけど??家の前にある川に名前があった事すら知らなかった私でした。
父の言う“祠”は、実家から山に向かって車で1分のところにありました。大昔の工事で祠が出てきて、それからちゃんと祭られてあるらしいです。
川の傍にある祠なので、それにちなんで”弁天川“と名づけられているようです。
“弁天”は、別名“瀬織津姫”(セオリツヒメ)と言われており、瀬織津姫は水の神様です。
なぜか古事記や日本書紀に名前はなく、名前を変えられて多くの場所に鎮座しています。重要な神様という痕跡は、大祓詞やホツタマエにあります。師匠の言っていた「昔は大きかった」という神様は、ここで繋がりました。
今となっては、こんなに山奥の小さな祠にお参りに来る人なんてそうはいませんが、ちゃんとお手入れをしている方がいました。お手入れをしている人は、子供の頃に2、3度顔を合わせたことのある人で、偶然にも母と一緒に行ったスーパーで出会いました。これはきっと神様が引き合わせてくれたのだと思います。
それから師匠は、「絶やしてはいけない」とも言っていました。きっと水の事を言っていたのだと思います。
2年前の台風で大荒れになったこの川は、今となっては穏やかに流れているのだけれど、当たり前ではないと言うことをやっぱりちゃんと理解しなくてはいけなのだなと思いました。昔の人は、その事を良く知っている。
祖母には会えませんでしたが、大切な気づきを与えられた帰省となりました。
では、今日はこのへんで。
読んでくれてありがとう!